>
>
30年のあゆみ
 名古屋弁護士協同組合30年のあゆみ
 
 (現 愛知県弁護士協同組合)
冨島元理事長に聞く   
 

 

今は協同組合はあるのが当たり前、組合に入るのが当たり前という感じですが、
設立の経過は?

 

 

冨島
渡辺日弁連元会長が「弁護士は人の人権は一生懸命守るが、自分のことはほったらかしだ。健康で家族に心配かけず一定の経済条件を備えていける互助組織を作れ」とはっぱをかけておられてね、それで協同組合ができたのですが、当時、東京と大阪くらいにしかなくて、組合を作って何をやるのか先例の無い時代でしたよ。
 それに、会との関係とか、監督官庁との関係が設立にあたって議論されましたね。協同組合が、会とは別組織であることがどうも理解されなくて、弁護士自治との関係で、愛知県の監督を受けることになるのはけしからんとかね。

 

 

設立当初、協同組合の規模や業務内容はどの様なものだったのでしょうか?
冨島
当時は、まだ靏野謄写館がありましたので、協同組合としては、事務所で利用する用品の共同購入や団体保険などが中心で、組合職員も専任ではなくてね、弁護士会職員の兼任でした。しかしそれでも、徐々に規模を拡大していきました。
 当時は、大先生は裁判所の近くで自宅事務所を構えるという時代でしたが、自宅以外に事務所を置く傾向になりつつありました。しかし、なかなか適当な場所がない、個人で事務所を構想しても割高になる、ということで、当時の越智専務理事が中心となり、弁護士ビルを建ててその分譲事業を行いました。大津橋と丸の内と2棟やったんです。これは大変に大きな事業になったのですが、越智専務理事は、たしか民間企業に勤められた経験をお持ちで、優れた企画力を持っておられてね、協同組合が独自に計画を作り、設計についてもいろいろ意見を述べて業者に建設させ、組合員に分譲したんですよ。

 

 

謄写事業については、謄写量が激減し、協同組合の経営さえもピンチに陥った時期があるとお聞きしていますが。

 

冨島
それが丁度私が理事長になった昭和62年頃からでね。当時5000万円程度あった謄写料収入が年々200万円から300万円程度減少していきました。そして、平成3年が底で、年間謄写料収入は4062万円になり、約1000万円減少して、この年、営業利益で初めて500万円の赤字を計上してしまいました。もっとも、当時は預金金利が今と違って高い時代でしたから、営業外利益を含め経常利益では黒字でしたが。

 

 

理事長になられた途端、経営危機という大変な時代に引き受けられたわけですねえ。
冨島
なってから謄写減少が5年続いたんで、まさに危機、頭が痛かったですね。謄写問題対策委員会を設置して、原因究明しようとしたんですがね、当時は、ワ号事件が減少傾向にあり年間4000件台であったものが、平成元年に3001件になりましたし、刑事では国選が増加傾向にありましたので、これらが原因ではないかと考えました。ところが、委員会で分析・検討した結果では、必ずしも相関関係はないという結論で、理由がわからないのですよ。今にして思えば、この外にも速記が減少したことや、調書が手書きからワープロに移行して1頁あたりの字数が増加したこと等、複数のことが原因ではなかったかと思います。
 しかし、その後は謄写量も回復し、むしろ増加傾向に転じ、現在では、年間8000万円程度の謄写料収入を得ています。もっとも、この増加には、支部の謄写についても協同組合の事業に移行したこと等も大きな要因となっています。また、現在の家裁・簡裁の庁舎建設時には、当初裁判所側は、協同組合の謄写機械を置かせない意向でした。しかし、この点についても、裁判所側とねばり強く折衝し、何とか実現しました。

 

 

年々謄写料収入が減少する中で、組合として利益確保にどのような努力をされたのでしょうか?

 

冨島
当然ながら、出を押さえるという意味で経費の圧縮努力をしました。しかし、そのような消極策だけでは到底足りませんから、謄写だけに頼らない運営をやろうという事で、手数料収入の増加の為にもできる限りのことをしましたよ。
当時生命保険会社は、ほとんど組合員に対する営業活動を行っていませんでした。そこで生保会社の名古屋支店などを訪れ、私から直接申し入れをするとともに、資料提供などをし、営業支援をして加入者を増やす努力をしました。また、ダイナースカードやミリオンカードのロイヤーズカードの普及にも努め、特別月間のような期間を設けて理事や委員が強引とも言えるくらい組合員に働きかけて勧誘しました。カードに加入すること自体は会員に負担も無いし、利用してもらえば収入になるしね。更に、生命保険の保険料集金代行をし、新たにその手数料収入も得られるようになりました。

 

 

予期しない大変な時にあたってご努力されたことが現在につながったと思いますが、当時理事長に就任するにあたって、何かこういうことをやりたいというような構想をお持ちでしたでしょう?

 

 

冨島
協同組合というのは、組合員の相互扶助が目的なのですが、その一環として、物品の購入などの経済面だけでなく、福利厚生面の活動を強化する必要があると私としては考えていました。そこで、理事長就任直後に文化厚生委員会を設置し、内河さんが中心となってその面を強化しました。ミュージカルや歌舞伎のチケットについて団体申し込みをし、割引価格で斡旋することなんかも手掛けるようになったわけです。このほか、人間ドックへの補助事業など、組合員の健康管理などに関する制度も設けました。

 

 

協同組合の管理体制などについてはどうでしょうか?
冨島
平成5年だったと思いますが、印刷類などで100万近くの盗難に遭いました。この折り警察から、合い鍵を使っての犯行ではないかと疑われました。そうすると内部に犯行に関与した者がいるのではないかと疑われ、最終的にはそうではなかったのですが、身内を疑わなければならないという意味で、不愉快な思いをしました。これを契機として金庫を購入し、事務所を閉めきるときには貴重品のすべてをここで保管するようにしました。残念ながら昨年の盗難事件では、この金庫さえ破られてしまったわけですが。もっとも、どちらも損害は保険でカバーされましたが。
 監査及び会計指導では、平成6年まで、専門家でもある内田実さんに無償で面倒を見てもらいました。しかし、毎月1回は事務所で帳簿類を見ていただくという大変な仕事ですから、特定の人の無償奉仕に甘えるのにも限界があり、その後は、税理士に依頼することになりました。またこの関係では、コンピュータの導入にあたって、今は亡き田中嘉之さんを口説いてもらい、独自にプログラムを組んでもらって、協同組合専用のソフトウェアを開発していただきました。田中さんには本当に大変な労力をお掛けしましたよ。しかも田中さんには、そのソフトウェアで毎月、月次の試算表を組んでいただいていたのですが、その作業についても立派に後継者まで育てていってくれました。

 

 

外に何か思い出は?
冨島
協同組合内で、金銭のからむ不祥事が発生した際、組合としては、その経過を詳細に調査し、報告書にもまとめ、組合の理事会でも報告をし、その承認を得て責任者に退職してもらいました。ところが、弁護士会の理事者から、相談なく結論をだしたとの批評と共に、常議員会の経過の詳細を報告するように求める書面が理事長宛てに来たことがありました。私としては、組合職員の人事権は組合にあって、会にはないのだから、組合が組織の中で民主的な手続きを経て出した結論を何の根拠で介入するのか----と反論しました。当時の理事者は、組合の出した処分(任意退職)が甘すぎるというのです。会員に対する一般的監督権が根拠だというので、弁護士会と協同組合とは全く別組織・別法人ですから、会員に対する監督権を根拠に協同組合というほかの組織体を監督することはできないとし、組合運営の独立性を犯すもので、将来の組合の為にも譲れないとこの要求には応じませんでした。

 

 

平成6年に理事長を退任された理由は?
冨島
最大の理由は、すでに理事長を足かけ8年務めさせていただき、そろそろどなたかに交代して頂く時期になったのではないかと。もう一つは、初代理事長の高橋正蔵先生は、心臓の大手術を受けられて退任。次の原田武彦先生は、理事長現職のままガンでお亡くなりになった。言葉は悪いがお二人続いて討ち死にされた。これ以上理事長を務めていては、私自身生きては戻れない。元気なうちにということで。(笑)

 

 

30周年にあたって組合への要望を!
冨島
組合員に対する還元と、会に対する還元を考えて欲しいですね。協同組合の運営は全て理事や委員の無償の活動で支えられているわけですので、その意味で利益が出て当然です。その利益を組合員のみなさんばかりでなく、弁護士会そのものへも還元することは大事なことです。しかし、一方弁護士会は組合の独立性を尊重してほしいですね。両社は全く別法人であり、相互に協力関係にはあっても、組合が弁護士会の一方的監督を受けるというような関係ではありませんから。弁護士会ができないことを組合ならやれるという部分もあります。役割を正しく分かち合うことが大事です。
 また、謄写の関係などでは、裁判所・検察庁とも信頼される良い関係を保っていくことが必要ですね。